命日

7月7日は、姉の命日です。一年前の七夕に旅立ちました。


ちょっと重い内容かなと思うので折りたたみます。







姉は漫画家でした。

私は絵柄も漫画の描き方も、姉のものを見て覚えました。
姉が漫画を描いていなかったら私も全く描いていなかっただろうと思うくらい、私の絵は姉が原点になってます。
姉は愛する家族であり、尊敬する人であり、超えられる気がしない高い目標であり、とにかく大好きな人でした。

高校卒業後デビューを果たした姉は、幾つかの読み切りを経て連載を持ちました。
だけどその連載中、身体を壊して休業しました。

私が漫画のお仕事をするようになったのは、姉が休業してやや経ってからでした。
漫画の仕事の辛さを身にしみて知っていた姉には大いに反対されました。
だけど私は結局描き続けてきました。
私が描き続けている間ずっと姉が心配し続けてくれていたのだと思うと、姉が亡くなった今、姉の言うとおりにしてあげていた方が良かったかもしれない、と思ったりします。
そう思っても尚今の仕事をやめられない私は本当に自分勝手なヤツだなぁとも。


だけど姉は休業後も、やっぱり漫画が好きだったのだと思います。
遺品を整理していた時、休業後に描いた絵が沢山出て来ました。
またいつか描きたかったのだと思います。
私もまたいつか、姉の漫画のお手伝いをしたいと思いながら仕事を続けて来ました。
姉が仕事をしていた頃なんて私、集中線すら引けなくて、ろくな手伝いしてあげられませんでしたから、今度こそはと。
叶ったなら本当に素敵だったのに。


それまで居て当たり前だった人、おばあちゃんになってからも一緒に助け合って生きて行けるだろうと思ってた人。
そんな姉を亡くしてようやく、ありふれた日常っていうのは本当は奇跡の産物なのだと思える様になりました。
だから今大切な人、居て当たり前の人と過ごしている人たちには、その日その時間ひとつひとつを大切にして過ごして行って欲しいなぁと思います。
思い出して思わず笑みがこぼれる様な素敵な思い出を、沢山作りながら過ごして下さいね。



姉が生前一番最後に描いたであろう原稿の表紙の写真をぺたり。
この裏側には『結果・・・没』と書かれてました。
一緒に書かれていた日付的に漫画家休業後、実家に戻ってから描いたのかな?
遺品整理で初めて見たのですが。

また復帰しようと編集部の方に見せて没になったのか、それとも原稿を描くだけ描いて結局自分で没にしたのかは分かりませんが、恐らく他誌で新出発何て事は考えず、以前と同じ雑誌を目指していたんだろうなと思います。
姉はとても一途な人で、お仕事をしてきた雑誌は姉にとって本当に特別でしたから。



最後に・・・

姉さん、大好きです。
今でもすごく大好きです。
シスコンだって笑ってやっておくれー。(笑)